舞台「乱歩奇譚」のナミコシの存在に関して思ったこと

※ネタバレ含みます
※むしろネタバレしかない
※人によって解釈の違いとかあると思うので許されたい
※乱歩(作家)自体には詳しくない+乱奇はアニメと舞台を全部見ただけ


舞台「乱歩奇譚」がついに完結しました。
第1作目から見に行っていて、毎年の公演を楽しみにしていたけれど、それも今回で終わりだと思うと寂しくなるなぁ……。

完結編である本作は、はっきり言って予想の千倍楽しめた気がします。
いや、途中で「ヤバさ」に気付いてしまったというべきか。


休みに被っていたのでそれなりの回数観ることができましたが、見れば見るほどに新しい発見や疑問が浮かんできて、観劇中常に頭がフル回転していることになったため、とても体力を奪われました。

で、今回ここまで泥沼ずぶずぶした理由の一つにナミコシの存在について延々と考えていたことがあるんですよね。
アケチの目の前に再び現れたナミコシは、生きていたのでしょうか。死んでいたのでしょうか。

彼はアニメ版では偽装自殺をしたことになっていた気がするのですが(うろ覚え)、そして私自身も最初のうちはその先入観をもって観劇したのですが、舞台版では考えるほどに不可思議な点が出てきました。

・ヤマネ等、今回の騒動の主犯格らとナミコシが直接会話する描写がない
・ナミコシの登場の仕方が常に唐突で、決まって特定の演出がある
・コバヤシが「(アケチについて)ナミコシさんからしか聞いたことがない」と言っているのにも関わらず、ハナサキが「お前は誰にアケチのことを(聞いたのか)」と尋ね、またコバヤシ少年はそれをはぐらかす
・「数式に宿る少年の存在」「後継者」といった表現


他にも数えきれないくらいありましたが、ひとまず。

ナミコシが登場するシーンではかなりの高確率で緑色の照明が使われていたり、または画面にノイズが走ったり、蝶が飛んできたりする演出がなされる部分もありました。あとは数式が書かれていたり。
この緑色というのが開演前の照明に使われている色なので、何らかの意味があると思われるのですが……うーん。
開演前「なんで緑?」って思ったんですよね。
この緑色が暗黒星の数式や量子的な何かを象徴するとすると……舞台上で喋っていたナミコシは、本当に生身の人間だったのでしょうか?

加えて最も「ん?」となったのは、ナミコシの検査結果を受け取ったアケチが「現実はそれほどロマンチックではない」と言った点。

これは1周目から引っかかってはいたものの、その時は、ロマンチックではない=現実的と解釈して、検死されていたのはナミコシではなく別人の死体だったのかもしれない、という風に考えました。
しかしロマンチックではない=「自分の感傷に都合のいいことはなかった」と解釈し、「実際のところナミコシは3年前に既に亡くなっていて、今回目の前に現れたのは二十面相としての概念、または数式が引き起こす現象としてのナミコシだった」と考えると、しっくりくることが多いのです。


舞台版ではミナミが裏切らなかったことを考えると、アニメ版とは世界線の大元が違うのかもしれません。
以下は余談ですが、ミナミは自分が二十面相化していた未来があった可能性も認めつつ、「あの子達を見てたら」変わったと言います。
これもミナミが選択を変える伏線がどこかにあったのかなー。あったとすれば電話で呼びつけるところでしょうか。あそこで「ミナミさんも?」と意外そうな反応が返ってきていることがちょっと不思議で。これアニメ版どうでしたっけ。
なんにせよ、ミナミが味方サイドにいてくれたからこそ検死データを手に入れられたようなところもありますし、この件は、アニメ版と舞台版の間の些細な相違から生じたバタフライエフェクト現象の一端のような気がしたり、そうでなかったり。
どこが発端なのかはわかりませんが……。

ただ、生存を匂わせる要素もいくつかあって、

・黒蜥蜴はヤマネが「自殺を演出した」というようなことを言っている
・ナミコシ少年が死ぬまでの間に、数式をアップデートする時間があったとは思えない
・検死データがアケチの手に渡ることをヤマネが阻もうとした=見られたら困る
・クロックタワーのシーンでは一般人にもナミコシを認識可能だった?

……
もうなんかよくわからなくなってきましたね。


で、考えたんです。
これってもしかすると、意図的に生きているのか死んでいるのかどちらとも取れる演出をされているのでは?
どちらでもあって、どちらでもないのではないか?


つまりナミコシは死んでいる状態と生きている状態が重なって存在していたのではないでしょうか。
シュレーディンガーの猫です。

シュレーディンガーの猫というのは、

“蓋のある密閉状態の箱を用意し、この中に1匹の猫を入れる。箱の中には他に、少量の放射性物質と、ガイガーカウンター、それに反応する青酸ガスの発生装置がある。放射性物質は1時間の内に原子崩壊する可能性が50%であり、もしも崩壊した場合は青酸ガスが発生して猫は死ぬ。逆に原子崩壊しなければ毒ガスは発生せず、猫が死ぬことはない。1時間後、果たして箱の中の猫は生きているか死んでいるか。”

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/シュレーディンガーの猫

という思考実験です。

そもそも、よくよく思い返してみると、冒頭コバヤシが段箱に入った子猫を拾ってくるシーンがあったんですよね。
たしかアニメにもあった話なのでふんわり流してましたが、あれ、“シュレーディンガーの猫”の暗示なのでは?


シュレーディンガーのナミコシとかいう字面の面白さにじわじわ来ますが、観劇した人が生死に関してぐるぐるまでが脚本の計算だとしたら恐ろしすぎるのでは……

でも、劇中でコバヤシ少年がカエルの解剖の話を持ち出して「命なんて最初から見えない」という意味のことを言っていたこと・再会したアケチとナミコシの会話を思い出すと、私達が観測したナミコシは動いていた、見えていた。それが全てなのかなぁと。


そういう要素も含めて、観劇していてとても楽しい作品でしたとさ。やべぇよこの作品……。
というか、私が見落としていただけでアニメにもこの罠が仕掛けられてたりするのでしょうか?
アニメもまた見直さなきゃなあ。


舞台版のキャストさん達も作品を愛しているんだなぁということが終始伝わってきてほっこりでした。
カーテンコールの挨拶ではアケチ役北園くんが言葉を詰まらせていて、思わず貰い泣きでした。みんな君の涙には弱いんだから、お手柔らかにたのむよ。

また、後味が絶妙に悪いことに定評がある(褒め言葉)作品なのに、今回はなんだか心が洗われて帰って来ることになりました。
千秋楽のラストの演出はもう会場嗚咽でしたね……


考察(?)とはまた別にここが良かったとか脚が長かったとか色々感想もありますが、それはまたの機会に。



追記
乱歩奇譚アニメこちらで全話見れるみたいですー!(2019年9月現在)
ドコモ公式/dアニメストア 【初回31日間無料】

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